【セミナーレポート】音楽が広く社会に浸透するために~リベラルアーツという考え方~

音楽,芸術,リベラルアーツ,社会,教育

「クラシック音楽の良さをたくさんの人に知ってほしい」と思うアーティストの方は多いですよね。(私もその1人です。)では、果たして“クラシック音楽の良さ”は知られていないのでしょうか?また、もし知られていないとして、社会のどこにクラシック音楽の需要はあるのでしょうか?その問いを追及すべく、先日、以下の討論会に参加してきました。

 

 『ハーバード大学は「音楽」で人を育てる』討論会
http://artespublishing.com/events/160706_ptna_harvard/
日時:7月6日(水)19:30-21:00
場所:全日本ピアノ指導者協会(ピティナ)本部
内容:著者の菅野恵理子氏を囲んでの討論会式勉強会

▼参考書籍
ハーバード大学は「音楽」で人を育てる
21世紀の教養を創るアメリカのリベラル・アーツ教育

(上記は出版社アルテスパブリッシングのページに飛びます。)

上記は、アメリカの大学で行われるリベラル・アーツの教育カリキュラムや実際にその授業を受けた学生のインタビューが紹介され、音楽のスキルや知識を実社会とどう繋げていくのかを考えるきっかけとなる本です。

 

あらためて、人間とは?


討論会に入る前に、菅野氏から「今、なぜ、どう音楽を学ぶ?」というテーマでレクチャーがありました。そこではアメリカと日本での芸術系大学のカリキュラムの違いや、20世紀~21世紀にかけて「人間とは」という問いに対する考え方がどのように変化してきたのか、人文学をベースに教えて頂きました。「人間」に対する考え方の変化について少し紹介すると、20世紀前半は自国を大きくするために、“国に貢献する人材”をつくるべく、医学・工学・経済学等の各分野で教育がなされていたそうです。しかし、20世紀前半は2度の世界大戦があったほど、各国の競争が激化した時代です。人材育成も徐々にエスカレートし、人間性を無視した教育が行われたり、プロバガンダ映画のように芸術が政治・戦争に利用されてしまうようになりました。その反省を踏まえ、20世紀後半には「人間性」というものが再考され、“教養”として人文学が学ばれるようになりました。コロンビア大学などで人文学の学科が誕生したのもこの時代だそうです。そして今、21世紀に入り、改めて私たちは「人間とは何か」という問いにぶつかっています。というのも、ITや人間工学・AIの発展により、今後5年・10年の間に私たちの生活は激変する時代に突入したからです。

 

21世紀の暮らしに音楽は必要なのか?


現在の仕事がロボットや人工知能にとって替わられたら、私たちはどのように生活していくのでしょうか?みんな仕事を失くすのでしょうか?新しい仕事が生まれるのでしょうか?そのためには今のうちにどんなスキルを身につけるべきなのでしょうか?色々と疑問はつきませんが、1つだけ明確なのは、この答えの見えない未来社会を創っていくのは私たちに他ならないということです。そのためには、私たち自身が「人間とは?」という問いを模索し、道を切り開いていかなければなりません。菅野氏は、正解がない問題を解決する力や新たな可能性を創造する力を養うためにも、音楽を学ぶことが必要だと教えてくれました。なぜなら、「“芸術の役割は複合的かつ多面的なもの”であり、“芸術は曖昧さを受入れ、創造的に考え、問いかけ、また挑戦することを教えてくれ”る」からです。(菅野氏資料より抜粋/スタンフォード大学資料)既に欧米の各総合大学では21世紀型スキルを育成すべく、リベラル・アーツの観点で教育カリキュラムのなかに音楽を使ったアクティブラーニングが導入されているそうです。

 

では、音楽をどのように学べばこの課題に向き合える?


音楽は“楽しむ”だけではなく、未来社会の創造や高度な教育にも通用するとは驚きですよね。では、音楽従事者としてはどのように音楽と向き合うべきでしょうか?その課題を考えるにあたり、菅野氏から以下の質問がありました。

「たとえば、忙しい社会人には音楽の良さをどう伝えますか?」

討論会会場には、アーティストとして前衛的な音楽に挑戦されている方や、理系企業から音楽系企業の経営に移られた方、音楽専門学校で講師をされている方、芸術系の書籍を多数出版されている方など、様々な形で音楽に関わっていらっしゃる方がいらっしゃいましたが、その中で大変印象に残った意見がありました。それは「音楽は、聴き手の頭の中で構成されるのでは?」というものです。つまり、奏者が奏でる音楽がその分野でいかに素晴らしいものであっても、聴き手(受け手)がその音楽を理解でき得る耳や素養、または精神的余裕がなければ、その価値は成り立たないというのです。そして、この議論を続けるうちにある結論に辿り尽きました。それは、「音楽の良さとは音楽家自身が感じる“価値”を聴き手の中に創造すること」であり、そのためには「音楽家自身が音楽の良さを明確に理解し、その価値を語る努力をしなければいけない」というものです。また、自分の言葉で音楽を語るためには、音楽家が(演奏スキルだけでなく)リベラルな視点を身につけて、社会と音楽を結び付けなければいけないという合意に至りました。

 

ポテンシャルを実行力に変えるために


菅野氏のお話を伺うと、音楽家や芸術家のポテンシャルの高さに気づかされ、大変心強く感じます。(たとえば、演奏家は1つの曲を完成させるために、楽曲分析を行い、レッスンの度にアウトプット・インプットを求められ、翌週までに課題を改善するという作業が日々発生しています。実は、これこそ究極のアクティブラーニングでは?という意見もありました。)ただし私は、よっぽどご自身が気をつけない限り、その音楽で培ったポテンシャルを「社会で応用する力」については、なかなか学生のうちに身につけられるものではないと思っています。私自身、音楽大学を出て一般企業に就職しましたが、まず音大4年間で音楽を極めることこそ大変な話で、在学中はレッスンや授業の宿題をこなすだけで手一杯でした。「社会とは?」「社会の中で求められる音楽とは?」という問いに真剣に向き合えたのは社会人として社会で揉まれ始めてからです。では、社会に出るにあったっては、音楽大学の勉強は無意味なのでしょうか?いいえ、音大の授業はすべて社会の中で活かせます。(西洋音楽史や一般教養、第二外国語まで、全てです!)だからこそ、授業を“ただ受ける”のではなく、授業の学びを学生のうちに実社会で試行できる欧米の“アクティブラーニング”の教育カリキュラムに大変注目しているのです。同じ「音楽を学ぶ」という行為も、その先にリベラル・アーツ(社会の中に芸術がある)という考え方があっての学び方と、とりあえず目の前の課題を必死にこなすのでは、その先に得られるものが大きく異なるからです。社会を知るためには実社会を経験することが一番ですが、個人ではなかなか時間が取れない、または大学の授業に類似のカリキュラムがない場合は、たくさんの偉人の伝記や書籍を読んで、これからの“社会”とは何か、社会と音楽の関わり方、音楽家としての自分の在り方について、学生のうちから是非考えてほしいと思います。

21世紀はよりグローバル化が進み、価値観が多様化する時代です。また、ロボットや人工知能の発達により、人間の生活が大きく変化するであろう時代です。こんな時代だからこそ、人間らしい営みをするために芸術が重宝されると思いますし、またその形も様々なのではないかと思います。将来、音楽や芸術のニーズが大きく高まる日を夢見て、私たち音楽家自身も社会に目を向けてしっかりと準備していきたいと思いました。

 

 

 


2016年07月19日 | Posted in BLOG | タグ: , No Comments » 

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